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TEKKEN 3 · ナンバリング本編

鉄拳3

アーケード
1997-03
家庭用
1998-03-26
機種
アーケード(Namco System 12基板) / PlayStation

概要

鉄拳3は1997年3月にアーケード(Namco System 12基板)で稼働し、1998年3月にPlayStation版が発売された、シリーズが「黄金期」と呼ばれる地位を確立した作品である。新基板への移行で表現力が向上し、3D格闘の代名詞となった横移動(サイドステップ)を全キャラに導入。それまでの非現実的な大ジャンプを現実的な高さに抑え、立ち回り・読み合いを地上戦中心へと再構築した。ジン・カザマ、リン・シャオユウ、ブライアン・フューリー、エディ・ゴルドら新キャラを多数擁し、PS版はTekken ForceやTekken Ball等のオマケモードも充実させて約836万本を売り上げる大ヒットとなった。今なお史上屈指の名作格闘ゲームの一つに挙げられる。

ゲーム性・システム

本作最大の革新は、全キャラへのサイドステップ(横移動)の導入である。奥・手前への軸移動が本格化したことで、正面の打撃に対して横へずらして回避する3D格闘ならではの読み合いが対戦の中心に据えられた。あわせてジャンプの高さを現実的な範囲に抑え、空中に逃げる防御的価値を下げて地上戦を重視する設計とした。リバーサル系の防御技を全キャラに拡充し、受け身(テックロール)など起き上がり・受け身まわりの概念も整備された。これらの再設計により、軸を意識した立ち回りと崩しの応酬という、今日に続く鉄拳の対戦の骨格がここで完成度高くまとまった。

対戦環境

横移動の導入により、地上での差し合いと軸ずらしが勝負どころとなった。エディやファランのような目まぐるしい蹴りの中下段連係、ジンの風神ステップからの二択、キングの多彩な投げ抜けを要求する投げといった、崩し主体のキャラが対戦で猛威を振るった。投げ抜け、受け身、コンボ運びの精度が勝敗を大きく左右し、相手の崩しにどう対応するかという防御技術も重視された。家庭用で追加されたGonとDr.ボスコノビッチは概ね最弱クラスとして扱われた。なお当時の公式ティアリストは乏しいため、特定キャラを断定的に「最強」とは扱わない。

当時のシーン

日本ではゲームセンターを核とした対戦文化が最盛期にあり、新宿プレイマックスが鉄拳の聖地として機能した。年末トーナメントや、戦績優秀者の顔写真と名前を店内に掲示する顕彰文化があり、関東(ストイックな競技志向)と関西(派手で攻撃的)のリージョナル対立、攻略集団『卍党』のようなコミュニティ、攻略誌(Gamest、The PlayStation等)が情報流通を支えた。メーカー主催の公式大会も整い始め、1998年にはNamcoが日米王者をE3決勝で対戦させる国際イベントを開催し、同年には英国の番組でも国際エキシビションが放送された。英国のRyan Hartが日本遠征で実績を残し1999年の公式世界王者となるなど、海外勢の活躍も目立った時代である。

主なシステム

  • ・サイドステップ(横移動)を全キャラに導入し、奥/手前への軸移動を本格化した(本作最大の革新)
  • ・ジャンプの高さを現実的な範囲に抑制し、ジャンプの防御的価値を下げて地上戦重視の立ち回りへ
  • ・リバーサル(取り)系の防御技を全キャラに拡充
  • ・受け身(テックロール)など起き上がり・受け身の概念を整備
  • ・PS版限定モード:Tekken Force(ベルトスクロール風アクション)、Tekken Ball
  • ・Namco System 12基板(32bitエンジン)採用による表現力の向上

この時代に活躍したプレイヤー

この時代の主要大会

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この時代に登場した用語

出典

編集メモ(確度・要確認): アーケード稼働は1997年3月とする資料が多く月単位(1997-03)を採用した。PS版日本発売日は1998年3月26日が安定して確認できるが、北米発売日は資料間で不一致があり(『1998年5月』『1998年10月』が混在)、欧州は1998年9月が比較的安定。家庭用ではGonとDr.ボスコノビッチが追加され、ロスター人数は数え方により表記揺れがある。強キャラ/ティア傾向は当時の公式統一見解が乏しく、大会上位キャラからの推定にとどまるため断定は避けた。Knee の本格的台頭は鉄拳5以降であり本作当時の主役ではないため記載していない。

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